優美さと力強さを併せ持つお姿で人々を見守り続ける毘沙門天さまをおまつりする「岩屋寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

優美さと力強さを併せ持つお姿で人々を見守り続ける毘沙門天さまをおまつりする「岩屋寺」を訪ねる

世界遺産・姫路城で有名な兵庫県姫路市に、北方を守る仏である毘沙門天の霊地があります。岩屋寺は創建されてから約1350年以上の歴史を誇り、毘沙門天の霊地として多くの信仰を集め、麓の岩屋村(現在の岩屋地区)をはじめとする人々の営みを見守り続けてきました。しかしながら、近年、本堂屋根瓦のずれによる雨漏りや本堂の老朽化、境内の崩落などの被害を受け、次の世代へ歴史を紡ぐ厳しさに直面されていらっしゃいます。今回、そのような岩屋寺を井上真円師と岩屋地区のみなさまにご案内いただきました。

645年、激動の時代に岩屋寺は歴史を紡ぎ始める

岩屋寺が開創されたのは645年。誰もが歴史の教科書で習う、中大兄皇子と中臣鎌足が主導した乙巳の変(いっしのへん、大化の改新のきっかけ)が勃発した年です。
法道仙人像 不動明王像とともにご本尊さまの脇侍としてまつられている。

岩屋寺の開創について、井上師が語ります。
「岩屋寺は645年に法道仙人によって開創され、白雉元年(650)には時の天皇・孝徳天皇によって伽藍が整備されたと伝えられています。法道仙人(ほうどうせんにん)という方は、天竺から雲に乗って飛来し日本に来たといい、現在の兵庫県を中心に様々な場所にお寺を建立して数々の伝説を残された方です。この法道仙人が実在したのかは定かではありませんが、西国霊場を創始した徳道上人(とくどうしょうにん)と関係があるのではないかと言われています。徳道上人の出生地は現在の兵庫県太子町といい、岩屋寺も近い距離にあるので何らかの関係があるのかもしれません。また、様々な文献を調べてみると、岩屋寺が行基菩薩によって開かれたと記されている古文書もあるようです。1300年以上昔のことなので、詳しいことはわからないことも多いですが、岩屋寺がかなり古い時代に創建された古刹ということは確かであるようです。」
岩屋寺の名前の由来となった「巌屋(いわや)」 巌屋を構成する大岩は奥行きが60間もあるという。巌屋の下にはサンショウウオが生息する清水をたたえた岩雫ノ池がある。

「その後、山岳信仰の霊地として大いに栄えたようです。記録によって様々ですが、最も勢いがあった時代には、6院18坊から構成される大きなお寺であったようです。」

しかしながら、天正5年(1577)、岩屋寺を戦乱が襲います。

「戦国時代、岩屋寺は別所吉親により焼討ちされてしまいました。後世にまとめられた史料では、岩屋寺の建物だけでなく、麓の岩屋村(現在の岩屋地区)も焼討ちされたと記されています。このときに、岩屋寺に伝えられていた天皇陛下直筆の書状(宸翰)や足利将軍家からの書状など、お寺にまつわる文書の一切が焼失してしまったようです。ですので、江戸時代より前、中世の頃の岩屋寺の歴史はわからないことが多いのです。しかしながら、ご本尊さまである毘沙門天立像だけは、かろうじて僧侶が持ち出して難を逃れることができました。この毘沙門天さまこそ、現在に伝えられている岩屋寺のご本尊さまになります。」
岩屋寺の寺紋は毘沙門天の使いであるムカデをあしらう

乱世の時代が落ち着き始めた1600年代初頭、焼討ちされた岩屋寺にも復興の機運が高まります。

「慶長6年(1601)、姫路城主をつとめた池田輝政公の家臣・坂太夫宗徳は、池田輝政公に岩屋寺の復興を願い出ました。その願いを承諾した輝政公はこの地に十二町四方の土地を定め、岩屋寺の境内とし、お堂を建立しました。また、寛永2年(1625)には、岩屋村に在住していた行者・真恵がお寺としての規模に整備して岩屋寺を復興、さらに承応2年(1653)には、千寿院大阿闍梨・秀山法師によって本堂の修繕がおこなわれました。」

乱世が終わり、復興された岩屋寺。しかしながら、寛文2年(1662)に岩屋寺を所管していた比叡山行光坊の僧・豪鎮和尚が離任した後は無住となり、荒廃していたそうです。そのような岩屋寺に転機となる出来事が訪れます。
岩屋寺が伽藍を構える有乳山 直矩公に与えられた山号を由来とする

「延宝4年(1676)、姫路城主・松平直矩(まつだいらなおのり、1667-1682)公の時代のことでした。松平直矩公の二男(後の基知(もとちか)公)が生まれたのち、基知公の母君は母乳が満足に出ず困っていました。ある夜、直矩公と母君の夢に「丑寅の方向にまつられている毘沙門天」の姿が現れ、夢から覚めると、母乳が出るようになっていました。その話を聞いた直矩公は大いに喜び、姫路領内で夢に現れた毘沙門天を探したそうです。すると、岩屋寺のご本尊さまがまさにその毘沙門天さまであり、御礼として本堂を改築し、「有乳山」という山号を与えたそうです。この時の建物が現在も本堂として伝えられています。」
庫裏に奉納されている「妙好人傳」の襖絵

「このように江戸時代以降の岩屋寺は姫路城主をつとめた方々の庇護を受けました。その一方で、麓の岩屋村の人々の営みを見守る祈願寺としても信仰を集めました。現在も岩屋地区にある「岩屋説教場」という建物や岩屋寺の庫裏に奉納されている「妙好人傳」の襖絵などからもわかるように、岩屋村の皆さんの多くは浄土真宗のお寺の檀家さんですが、五穀豊穣など祈願をするときには岩屋寺にお参りするという信仰が今も強くあり、お寺の維持管理や法要の際のお手伝いなど、岩屋地区の皆さんとともに行っています。城主の祈願寺だけでなく地域の皆さんの祈願寺という側面があったからこそ、社会の大幅に変化に飲み込まれず、歴史を守り伝えることができていると日々強く感じています。」

すらりと立つ姿が美しいご本尊・毘沙門天立像

戦乱により岩屋寺や岩屋村が焼討ちされながらも、僧侶たちによって助け出されたご本尊・毘沙門天立像。
今回、井上師と岩屋地区の皆様のご厚意により、特別に御開帳していただきました。

「ただいま御開帳した仏さまが岩屋寺のご本尊さまである毘沙門天さまになります。平安時代後期頃に造立された、檜の一木造、像高が97.6 cmの仏さまになります。右手には戟(げき)、左手には宝塔を持っています。ご本尊さまの特徴は、なんといっても、お顔や身にまとう鎧に様々な色・文様の彩色が施されていることです。いつ施された彩色なのか詳細は不明ですが、おそらく造立当初の彩色であると考えられています。長年秘仏として厨子の中でおまつりされてきた仏さまであるからこそ、これほどはっきりと今日まで残っているのだと思います。近くで見ると、その細かさや美しさがよくわかります。皆さんもぜひ近づいてじっくり見てください。」

ご本尊さまに近づくと、身体を彩る彩色の美しさに引き込まれます。
身にまとう衣服に赤色や金色で描かれた花々。
重厚さを表す金色の鎧。
ご本尊さまの生命力を感じさせる1本1本丁寧に描かれた眉毛や髭。
先人たちの美意識が学生たちの中を駆け抜けます。

「全体の立ち姿も必見です。右足をわずかに開き、腰の重心を左後ろに置き、左手に持つ宝塔の方向である斜め左を見ています。この不自然さがなく美しく力強い立ち姿の仏さまを造立できる当時の仏師の技術力に圧倒されます。華やかな彩色や優れた造立技術による仏さまということで、ご本尊さまは昭和25年8月29日付けで国の重要文化財に指定されています。」
ご本尊・毘沙門天さまのお姿が描かれた祈祷札

「以前は1年に1度だけの御開帳でしたが、最近は岩屋寺で法要がある際やご本尊さまをお参りしたいという方からご連絡があった際に、私と岩屋地区の自治会長の立ち合いのもとで御開帳をしています。私たちも驚いているのですが、日本全国からたくさんの方々に岩屋寺にお参りしていただき、中には沖縄からお越しいただいた方もいらっしゃいました。また、ご本尊さまの御祈祷札をいただきたいというお声もいただき、どうやら人づてにご本尊さまのお話が広まっているようです。」

「溜息がでるほど美しい」という表現がぴったりとあてはまるご本尊さま。
そんなご本尊さまですが、近年危機に見舞われたと井上師と岩屋地区の皆様は語ります。
不動明王立像 法道仙人像とともにご本尊さまの脇侍としてまつられている。

「ご本尊さまに危機が訪れたのは、約2年前。本堂の屋根瓦が老朽化によりひび割れたり、地面に落ちたりして、雨漏りが目立つようになっていました。そして、ご本尊さまの近くにも雨漏りの水滴が落ちるようになってしまったため、文化庁の方々や姫路市の文化財担当者の方々とご相談して、ご本尊さまや不動明王さま、法道仙人さまを本堂からこちらの庫裏に移す事業を2年間かけて実施することになりました。」

「ご本尊さまは国の重要文化財に指定されているため、この機会に国や県の博物館に預けようという話が出ましたが、1000年近く岩屋地区を見守っていただいた仏さまだからこそ、岩屋の地を引き続き見守っていただきたいという思いを尊重して、庫裏へとお移りいただきました。その際、文化庁の指導のもと最新の防犯カメラやセンサーなどの防犯設備や火災消火設備を新しく庫裏に設置し、盗難や火災の被害を受けないように整備していただきました。また、ご本尊さまに何かあった際に岩屋地区の方々がすぐに駆け付けられるような体制をつくりました。こうしたことができるのも、岩屋地区の皆様が岩屋寺を、ご本尊さまを大切な存在として守っていただいてきた歴史があるからだと思います。たいへんありがたいことです。」

岩屋地区の皆様とご本尊さまの魅力を語らう学生たち
その光景を見守るご本尊さまはどこか微笑んでいるような表情を浮かべていました。

有乳山の山中にまつられる様々な御仏たち

有乳山には、岩屋寺の堂塔伽藍が点在しています。
播州薬師霊場の札所になっている薬師堂には、薬師如来坐像のほか、天台宗の寺院では珍しい弘法大師坐像、医療と農耕の神様である神農像がおまつりされています。
薬師如来坐像

「薬師堂の中央には、薬師如来さまをおまつりしております。近年修復をしたので、金色が美しい仏さまです。この薬師如来さまは、播州薬師霊場の21番札所の札所本尊さまになります。薬師如来さまの向かって右側には五鈷杵を持っている弘法大師さまをおまつりしています。天台宗の寺院で弘法大師さまをおまつりするところは少ないと思います。岩屋村の祈願所として宗派を超えた祈りの場所であった岩屋寺の信仰を象徴するお像であると思います。」
神農像

「さらに、向かって左側には神農さまをおまつりしています。岩屋寺になぜ神農さまのお像がおまつりされているのかは不明ですが、おそらく農耕の神様ということでおまつりされているのだと思います。神農さまは手にカニのような持ち物を持っていますが、何を持っているのかがわかりません。どなたかご存じの方がいらっしゃったら教えてください(笑)」
弘法大師坐像

「この薬師堂では4月と9月の1年に2回、薬師護摩を焚いています。この薬師護摩は「大師講」とも言いまして、岩屋地区の皆様がお供え物を捧げて祈願をする法要になります。天台宗のお寺では珍しい「弘法大師講」です。岩屋地区では、弘法大師さまへの信仰も篤く、本堂までの道には四国八十八カ所の写し霊場は作られています。」

薬師堂から少し歩くと、開けた場所に建つ鐘撞堂(かねつきどう)にたどり着きます。 「こちらの鐘撞堂に掛かっている梵鐘には、「南無毘沙門天王」と記されています。この鐘は前住職と岩屋地区の方々がご尽力されて造立されました。この鐘は毎年除夜の鐘の際に皆さんに叩いていただいています。例年ですとだいたい70名くらいの方々が来てくださいます。お子さんもたくさん来てくれるので、去年は新札がプリントされた紙がランダムに入っているチョコレートを渡して除夜の鐘をついてもらいました。すると、子どもたちは、「1万円が当たった!」、「千円だった...」などと盛り上がっていましたね(笑)。」
地蔵堂

他にも岩屋寺の境内には、146体の地蔵菩薩がおまつりされている地蔵堂や観音さまをまつる観音堂など様々な仏さまがおまつりされ、岩屋村の人々の祈りの場所である岩屋寺の多様な祈りの歴史を垣間見ることができました。

復興が待たれる本堂と境内

瓦や建物の老朽化により立ち入りが制限されている本堂周辺。
今回、井上師と岩屋地区の方々に許可をいただき、安全に配慮しながら本堂周辺の現在の状況を見学させていただきました。
建物の老朽化および地盤が弱くなっているため、岩屋寺本堂周辺への立ち入りはご遠慮ください。
鐘撞堂から急峻な参道を5分ほど上がっていくと、開けた場所にたどりつき、木々の深い緑に映える赤色に塗られた本堂が建っています。

「1月3日の初寅会の際には、本堂前の広場で採燈護摩(さいとうごま)を行っていました。たくさんの方々にお越しいただき、参道沿いに露店が出ていた時期もありました。」

本堂に近づくと、屋根には植物が生え、地面には瓦が落ちて割れていることに気が付きます。岩屋地区の皆様にお聞きすると、本堂には江戸時代に作られた瓦が現役で使われているといいます。落ちた瓦を見てみると、鳥や獅子などの様々な生き物が生き生きと表現された瓦でした。また、本堂を荘厳する様々な彫刻も精緻さとともに大胆さも併せ持つ素晴らしいものでした。

また本堂の近くの石柵は倒れてしまっています。
山の中で水分も多いことから地盤が弱くなっており、斜面に近いところでは崩れているところが複数あるといいます。

「なんとかこの本堂周辺の祈りの空間を未来へ守り伝えることができないかと岩屋地区の皆様と考えています。しかしながら、屋根瓦や本堂の老朽化が激しく、さらに地盤も弱くなっており、岩屋地区だけでは直そうにも直すことができない状態が続いております。今回皆さんにお参りいただいたことをきっかけに少しでも進展できたらと考えています。」

今回の訪問を通して、歴史を未来へつなぐことは、当たり前にできることではなく、時代時代に尽力した先人たちの存在があったからこそであると強く感じました。1300年を超える祈りの歴史の伝承の危機に直面している岩屋寺、そして岩屋寺を守る皆さんへご助力いただけたら幸いです。

参加学生の感想

今回の訪問では、ご本尊・毘沙門天立像の立ち姿の美しさと、岩屋集落を守り続けてきた岩屋寺の歴史が印象深く心に残っております。
近くでお参りさせていただいた毘沙門天さまは、少し左に腰をひねり、すらっとした立ち姿で、美しさを感じる仏さまでした。また、穏やかさや静けさを感じさせるだけでなく、北方を守る仏さまとしての凄みや迫力が内に秘められているようにも感じられました。当時のものであろう彩色も多く残り、ご本尊さまが造立されてから約900年、人々からいかに大切な存在としておまつりされてきたのかが伝わってきました。また、岩屋集落の皆様とのお話しからは、皆様が岩屋寺を大切にされていること、岩屋寺が皆様の心の拠り所となっていることが伝わってきました。皆様の想いや願いがご本尊さまに向けられ、ご本尊さまは岩屋集落を見守る、この双方向の関係が絶えることなく1000年以上伝えられていることに感銘を受けました。

立命館大学 博士課程
岩屋寺
〒679-2121 兵庫県姫路市豊富町神谷3031